はじめに〜
(何かに対して疑問や不満、怒りやマイナスな感情が湧いても敢えて自分の意見を言ったりしないよう気をつけている。気になるくらいなら関わらなければいい、反応したら同じ貉、その時点で自分の負け、と思うようにしているので今回の投稿は僕の負け〜勝ち負けなんかそもそもないのだけど〜なのかもしれませんが)

あった出来事。
思った事。
書きます。

昨日ライブで演奏中、突然関係のない方が客席で僕らの演奏に合わせて勝手に楽器を吹き始めた。
ついにはステージにまで上がってきて間奏で僕のマイクを奪って楽器ソロを吹き始めた。

手拍子や掛け声、多少騒ぐなら構わないが個人的に此方が演奏している最中は基本聴いていてほしいのでステージにまで上がられた時はさすがにいろいろな動揺が生じた。正直、怒りが収まらなかった。

それでも冒頭に()の中で書いたように心落ち着かせ関わらないようにしたのだけどあとで映像見返したら僕の顔に笑顔はなかった。

いろいろな立場や状況を咄嗟に判断してみんな盛り上がり楽しんでるその場の雰囲気を壊したくなかったので無表情のまま乱入者に、〝ナイス!サンキュー!〝、とまで、心にも思っていない事をMCしたのだけど僕には100%怒りしかなかった。

若い頃、緊張感のあったライブハウスで緊張感マックスで演奏中に普通に聞こえるよな声でおしゃべりを始めた、どうせ付き合いで観に来てただけの音楽なんか興味もないだろう共演者の客に対して演奏をストップして怒鳴りつけた事も何度もあったのに。

それから30余年、感情をぶちまける事もなくその場を取り繕う自分に、〝トシとってクソつまらない人間になっちまったもんだ〝、と自己嫌悪に陥りながらも表向きは平静を装い、ステージをそのまま続けた。乱入してきた方はまだステージの端にいるまま。

とにかくいろいろな現状、状況から、冷静に最後まで何事もなくステージを終わらせる事だけを複雑な怒り焦り抱えたまま最後の曲を演奏する直前、乱入してきた方がキーボードの上に飲み物を置いた。
〝楽器の上にだけは絶対飲み物を載せないで下さい!〝、と我がメンバーのキーボードが冷静に対応してキチンと言った。

そして僕は最後の曲の中の、〝怒り、焦り、悲しみっぱなし〝、というフレーズを感情たっぷりに唄い上げステージは終了した。

ステージ後、我がキーボードが言った、〝やっぱり楽器は大切なんだし。大事に扱ってもらわないと〝、というコトバに僕の複雑な感情は一気に晴れ、〝あぁ。またこの、こんな想いを持ってるメンバーと一緒に演れてるんだな!サイコーッ〝、とライブを終えた。
とにかくコレが救いで嬉しかった。


自分の今回の我慢した対応も怒りも全くつまらねぇ人間のやる事だ。


僕はハタチからずっと緊張感のある場所で音楽をやってきたし自分もその中で緊張感を持ちやってきた、と自負してる。

一旦音楽をやめ、しばらくしてから再び音楽活動を始めてまず面食らってしまったのはお客さんや共演者の振る舞いだった。
まるでカラオケBOXに楽器持ち込み、他の人が歌ってる最中に次は何を歌おうか検索して適当に合いの手入れ自分の出番を騒いで待ってるようだった。
もちろんちゃんと聴いてくれる人も沢山いたけど。

それでも僕は、〝聴いちゃくれない人をも振り向かすくらいの表現をすればいいだけの事なのだ。まだまだだなんだよ、自分〝、と言い聞かせてずっとやってきたけれどね。

別におしゃべりしようが興味ないとかでも構わないけど。

こんな事書くと僕に対する様々な事にも今後影響するだろうし、いろいろな誤解を招くであろうし敬遠されるのも充分承知の上でこのまま、後味悪いまま敢えて此処で終わらせておきますけど。


キチンと対応すればいいだけのこと。

まだまだ全然棄てたもんじゃないし。










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# by hagiryohagiryo | 2018-09-23 15:16 | LIVE後記 | Trackback | Comments(0)

30年前(正確には32,3年前)、よく利用していたスタジオに30年ぶりに当時よく一緒に利用していたメンバーと集い、そしてそのスタジオが30年の歴史に幕を下ろす事になった今日、再び30年前のメンバーと集い30年前と変わらぬリハをした。
バブル真っ盛りの30年前。バンドブーム前夜。
僕はあるバンドの手伝いをしていたのだけど当時のバンドのノリ、バンドを取り巻く環境全てについていけてなくて並行してソロ活動を始め渋谷のとあるライブハウスに出るようになった。
そのライブハウスは基本弾き語りでバンドブームとも無縁の、落ち着いていて且つ、真剣勝負な、当時としては緊張感のある場所でかえって僕には居心地が良かった。

場所も渋谷の、当時の浮かれた喧騒とはほど遠く唯一、時が止まったような区域にあってスタジオもちょうどライブハウスの真裏にあり基本、個人レッスン用のスタジオなので浮かれ騒いだ派手なバンド連中にも会わず落ち着いて利用できた空間だった。

そして30年。
時が止まった区域にも開発がおよび、ライブハウスもなくなり(移転して営業中)、そして30年ぶりに集えたスタジオもなくなる事となった。

最後の、〝渋谷と自分を辛うじて繋ぎ止めてくれていた〝、存在だったそのスタジオに再度、30年前のメンバーで集まれた今日、もうほんとに渋谷には用はなくなった。

年寄りみたいだけど古き良き想い出は永遠だ。
さよなら渋谷。
ありがとう。スタジオレッツ。

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# by hagiryohagiryo | 2018-09-15 16:13 | 音楽 | Trackback | Comments(0)

9月1日。
ひと昔前は学校の二学期が始まる日だった。

そんな34年前の今日、教師を目指していた中学時代の親友が心不全で天国へ旅立った。その一週間くらい前に突然TELをもらい久々に地元の喫茶店で再会しお互いの近況など話した矢先の出来事だったからショックだった。

彼とは中学で出会った。
彼はお坊っちゃんで学校でも常に成績優秀だった。
かたや僕は学校では問題児で成績も最下位だった。

だけど彼は一風変わり者でもあった。
成績優秀で変わり者な分、ある意味学校では有名人だった。
かたや僕は悪い連中ともツルんでいたけどいわゆる真面目な秀才連中とも普通に付き合っていた。

中学二年で彼と同じクラスになった。
そこから〝ある意味学校で有名人だった〝彼と僕の付き合いは始まった。

僕は彼をバンドのヴォーカルとして誘った。
彼は音程のとれないいわゆる音痴だったけれど僕も全く楽器というものが弾けなかった。
だけどバンドをやりたいから彼を誘った。

そんなある日、成績優秀で有名校に進学がほぼ約束された彼が〝音楽でバンドで生きて行く〝と学校に宣言した。
かたや僕は成績も最下位、進学などハナから考えずバンドで生きて行く!などと相変わらずだった。

最終的に彼は有名校に、僕は周りに流され仕方なく定時制に進みバンドは学校卒業とともに解散した。

卒業してからもたまに地元で会ったり映画に行ったりコンサートに行ったりした。最後に一緒に行ったコンサートは甲斐バンドの新宿副都心(今の都庁)で行われたBIG GIGという野外コンサートだった。
あの暑い夏が彼との最後の夏になろうとは。

その翌年。
もうすぐ学校が始まる新学期直前、有名国立大学に通って教師を目指してた彼からTELをもらい一年ぶりに地元で再会したのが彼との本当の最後の日になった。

彼の人柄が反映され沢山の方々が参列した、まだ残暑が続く中での葬儀で僕は友人代表として弔辞を読んだ。
慣れない喪服が汗びっしょりになる暑い日だった。

彼を送り出す時、中学時代一緒に演奏したバンドのテープを遺族の意向で流した。
それから何日かして彼の思い出を綴った文集が配られお墓が決まったと記されていたけどしばらくはまだ彼の死が受け入れられなかった。

そんなある日、御遺族から彼の遺したギターを受け取ってほしい、と中学時代に彼が地元の質屋で買った、当時バンド時代にも使用してたギターを形見として引き取った。そのギターを持って出ていたライブハウスに彼のご両親を招待した時やっと彼の死を受け入れられるようになった。

彼と出会って彼がいなくなって約30年後、中学時代のバンドを再始動させて地元のイベントに出る事になり彼のお母様をご招待した。
彼の代わりにヴォーカルを担当した同級生は彼とももちろん旧知の仲、しっかり彼の代役を果たした。

彼がいなくなってから御墓参りは毎年この9月1日に行っていたのだけど、そんな30年目の雨の中いつものように命日に御墓参りに行きいつものように写真を撮ったら写真が一枚も残っていなかった。

〝もう大丈夫だよ〝というメッセージのような気がしてそれからは行ける年に行く事にした。

今年は土曜だったし仕事も休みだったけれど行かなかった。

仏さんの負担にならぬように。

俺はまだまだ相変わらずだ。
そんな本日はギターを弾いた。

暑い夏もまもなく終わるよ。

53、だぜ。全く。

またな。気が向いたら。会いたくなったら気まぐれに墓参り行くよ。


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# by hagiryohagiryo | 2018-09-01 20:03 | 日記 | Trackback | Comments(0)

この猛暑、酷暑の中
エアコンがブッ壊れた。

一週間この異常な暑さの中エアコン無しの我が家の室温は36度、夜にやっと32度。

この暑さはなんだ⁈
異常だ。
昔の夏がなんとも懐かしく愛おしい。
今年の盆休みには生まれて初めて熱中症になった(昔は日射病って言ってたな)

もともとエアコンは苦手だった。
実家にはずっとエアコンは無かったし一人暮らしの時もそんな高価なモノは買えないし先ず必要最低限なモノからは速攻消去した。(因みに一人暮らしの時はTVも電話もなかったよ)

結婚して初めてエアコンを所有したのだけど
設定温度は28度以下にした事がなかったし(それは今現在も)夜は消していた(暖房は一切使用しない)。

10〜20年前まではそれでも過ごせたんだ。
歳のせい、じゃなくて絶対に昔とは暑さが違う。

昨日やっとエアコンを新しくした。
一週間と3日ぶりに我が家が涼しくなった。

一週間よくぞ家族は耐えた。
よくぞ無事だった。大袈裟じゃないよ。

昨日エアコン取付業者に話を聞いたら作業が追い付かず三週間待ちは当たり前、酷いとひと月以上待ちだそうだ。
我が家はまだまだ良い方だった。


エアコンがない一週間に精魂尽き果てた。
口もききたくないくらいに草臥れ果てた。


一週間ぶりのエアコンの心地よい冷気。
快適な風が我が家に拡がる。

なのに何故だか心がちっとも心地よくない。
ちっとも快適じゃない。

なぜだ?

この異常な暑さの中、一週間エアコン無しの中、
色々考えた事があまりにも熱気を帯びてしまい、心身がまだ暑苦しいままだ。

家族は大丈夫だろうか?
電気屋の対応が⁇⁇
エアコンはいくらかかるのだろうか?
すぐ取付してくれるのだろうか?、、、。

この暑さの中エアコン無しの人もまだまだ多いらしい。
今日も何処其処は気温が36度を超えたらしい。
何処其処は41度だって⁈
今日も何処かでこの暑さの中何人も熱中症で搬送されたらしい、、、。

あまりの暑さの中、殆ど眠れぬままらあーでもないこーでもないとアタマが沸騰したまま、身体も干からびそう、、、。

妙な事ばかり考えたアタマの中で冷たいピアノの殺気立った音がリピートしっ放しだ。

まだまだ暑い。いや。熱い、か。

サマー・イン・ザ・シティ
サマー・イン・ザ・シティ、、、、
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# by hagiryohagiryo | 2018-08-29 15:23 | 日記 | Trackback | Comments(2)

ステキじゃないか。

お盆休みでやっと休めた。
ぼちぼち音楽活動も始まるので久々スタジオに入った。

音楽活動から遠ざかっていると当然ギターも弾かなくなるし声も出さなければ人様のライブに行く事さえ億劫になり挙句、外出もしなくなる。

お盆休みは日頃の疲れを癒しゆっくりしていよう、とも思ったけれどこうして久々にギター担いでスタジオに入り、ミキサー通してマイクに向かって声を出しギターかき鳴らしてみるとやはり実戦さながら、感覚が蘇るんだな。
まぁ相変わらずメチャクチャなんだけど(爆)

こんなふうにこのところ普段してなかった事すると
久々にライブに行きたくもなるし同じステージに立つ戦友達にも会いたくなる。

坂井ライ。
もう彼とはかれこれ33年の仲になる、な。
このブログ遡って探して頂ければ彼との出会いは事細かに書いてあるから省略するけど彼と僕は音楽の表現方法も違えば音楽のスタイルも全く違う。
けれど一口では言い表せない、根っこにあるもの、思っている事、感じている事が何処か通じ合えてる気がするから33年も変わらずの仲なんだろう。

性格も全く違う。
彼は揺るぎないけれど僕はすぐグジュグジュして投げ出してしまう。でもその揺るぎなさも投げ出してしまうのも心の奥底では同じ怒りだったり感情な気もする。
だから彼が自問自答し落ち込んでる時も判る。

でも彼のブレない部分にずっと、今も助けられている。

そして33年目のお盆休みにブレない揺るぎない彼のおかげで結果、彼と出会った場所(場所も雰囲気も変わっちゃったけれど)に久々行く事が出来て久々に33年前と変わらず彼の唄を聴いた。

この写真、彼の幼馴染に撮ってもらった。
だから尚更イイ写真のような気がしてる。

2018年のお盆休みはステキだった。

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# by hagiryohagiryo | 2018-08-16 14:32 | 音楽 | Trackback | Comments(2)