音楽を辞めた理由 

前回ライブのお知らせしといて突然こんな話、アレなんですが(苦笑)
話が前後しまくりですが自分の記憶がどんどん無くなる前に書き留めておこう、が
そもそも当BLOGを始めた理由の1つですから、、、、。

1989年、僕24歳(ひえ~)
渋谷アピア(現、碑文谷アピア)で定期的にライブをやっていた20数年前のある日、突如
この世からレコード針が無くなる、と。僕は丁度その頃輸入盤を買い始めた時期でCDに完全に乗り遅れていた。ただでさえ世の動きに乗れない僕はなんだか自分が全否定された気がした。
なんの躊躇もなくCDに乗り換え今まで持っていたレコードを平気で処分するまわりの人達が信じられなかった。断っておくが決してCDが好くない、のではなく実際CDを何枚も持っているし、要は突然慣れ親しんだモノが無くなり選択肢が無くなる、のが嫌なのだ。
(因みに初めて買ったCDはKINKSの当時の新譜(PHOBIA)。アナログが出ない、と聞きやむなく購入。アナログが出ていたらもう少し僕のCD初購入は遅かったかも、、、。)

‘萩原もさあ、音楽やってんならさあ、いい音で聴いた方がいいよ~、CD最高!‘と何回も言われた。(こういう無節操な発言にはほとほと疲れる)

(当時色々な出来事が重なり人間不信になっていたのも拍車をかけた。
バブルの恩恵なんてこれっぽっちも受けてないし1983年あたりから世間と自分が噛み合わなくなっている事には薄々気づいていた。どんなに頑張っても時代の雰囲気についていけなかったのだ。そんな中1986年アピアに辿り着いた。当時のあの店の雰囲気!時間が止まったような、薄暗くて呼んだ知人達もビックリするような、でもそんな雰囲気が当時の僕にとっては最高だった。)

盟友、坂井ライと出会い、その頃ラリルレーベルを立ち上げた。世の中に反発するように坂井ライは1987年にアルバム(LY)を発表、その2年後まさにレコード針が無くなる年にこの世で最後のシングルレコードを作る気で当レーベルよりデビューシングル(彼氏になりたい)を半ば世の中に対する当て付けで発表。
d0264248_19435124.jpg
 
*すでに川崎の文字が!名前も本名だ、、、。
d0264248_19444926.jpg

*坂井ライの世界が凝縮されたウルトラ超名盤!

しかし当然話題にもならず、ますます孤立していった。僕はその頃から夢遊病者のように、当時やっていた窓ふきの仕事もサボり続けてぶらりと1人旅をするようになり、坂井ライにもこれから!という時に迷惑ばかりかけてしまった。
何日も気が遠くなるほどいろんな場所に出かけては歩き続けた。完全に頭がおかしくなってしまった。というか1人になる事で正常を保っていたのだ。
当然人間関係も最悪で辛うじてライブをアピアで続けるも人に会うのが億劫になった。
アーティスト同士の個性のぶつかり合いにも疲れていたし、自分の才能のなさ、限界も感じていた。唄うことがシンドくなってきた。

そんな時知り合いの伝手で障害児の水泳の介助をしてみないか、と誘われた。
誘われるまま、やってみようかな、と暫く続けた。
肝心の音楽活動はますますおろそかになっていき、ついに疲れ切って27歳の冬、辞めてしまった。最後のライブはお客さんゼロだった。

その後結婚して自分は音楽の事しか知らなかった事に気づいた。今まで知らなかった様々な世界を今の奥さんに教え貰い、新鮮だった。ごく普通に家庭を持ち、子供がいて、正社員として父親になった。中途半端に音楽をやる位ならいっそキッパリ手を引こう、と。

もう誰も僕が音楽をやっていた事を知る人はいない、という事はとても楽だったし、自分も
辞めた以上は過去は一切引き摺らない、と決心したのだ。

次回は音楽を再開した理由、、に続く、、、と思います(苦笑)
[PR]
トラックバックURL : https://hagiryo.exblog.jp/tb/16228918
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
by hagiryohagiryo | 2012-07-03 20:02 | 音楽 | Trackback | Comments(0)