2012年 08月 09日
音楽を再開した理由其の5 バンド解散2
それでもDが戻ってくるまでの間、バンドが出れそうな場所を探しまくった。その中で川崎のあるライブハウスを見つけた。丁度その店で声をかけて頂き、とりあえずソロ活動をしてバンド再々始動に備える事にした。なにかやり続けていないと不安だったし、イザ、バンドが再開した時にもプラスになると思ったから。
しかしそんな状況を他の2人に説明しても相変わらずだった。それはもう以前からで、何かを提案しても、(あ~っ)、(へぇ~っ)、ばかり。曲を作ってCD-Rにして配っても、(いい)とも、(良くない)とも、(やろうぜ)とも言わない。挙句リハでは毎回同じ個所を間違える。毎回毎回ダヴィングして配ってるCD-Rも役に建ってるのかも解らない。
1度だけ意地悪してCD-Rを次回リハまでダヴィングしないで皆の反応を待って見た事もあったけど誰1人として(この前のリハの音源は?)とも訊いてこなければ自分で録音機材を準備する事も結局最後の最後までなかった。
やる気あんのか?俺だけあーでもない、こーでもない、してないか?
このバンドを再結成できた時、勝手だけど幼馴染と会社立ち上げた!位に俺は思っていた。だからバンドに関わるいろんな事を一生懸命やってきたつもりだったけど、他の皆は単なるオヤジバンド、という気持ちだったのだ。だから怒りもなければ何かをやり遂げよう、という気持ちもなかったのだ。
例の休もう、といったD、(そもそも彼との再会がきっかけだったんだよなあ)にやっと連絡が取れ、半年ぶりにデニーズでミーティングをしてもう1度やろうぜ!なんて話になったけど正直俺は疑問や後味悪さしかなかった。
でもこのメンツでなにかやり遂げたい!という気持ちはまだ持ち続けていたし、退屈な音楽無しの生活にだけは戻りたくなかった。
何度もいうけどこのメンバー、誰もツブシ効かない。最高なメンツなんだ。勿体無い。
結局半年ぶりにリハをやったけど何だかシラケて終わり、再度3か月後リハをやるも今となってはどんな内容だったかもまるで覚えてない。
僕はもう平行して20年振りにソロ活動を始めていたしバンドはやりたくても実際には限界だったのだ。Bに声をかけてソロ活動に加わって貰ったりもしたけど、もはや取り組み方に雲泥の差があった。結局俺の望む事は皆にキツクなってしまっていたのだ。
結局僕は退屈な音楽無しの生活に逆戻りはしたくなかったからバンド休止状態の中、20年振りにソロ活動を再開しながらもバンド再々始動のチャンスを覗っていたけども皆は各々のプライベートがあるんだ、と改めて感じ、それなら俺は1人じゃなければもう無理、なんだと痛感したのでした。音楽より皆プライベートが大切なんだ。それって当たり前、だと思う。
最後の最後4人でデニーズで久々に会った。僕は体調が悪く遅刻した。それでも4人で会うのは最高だった。でももうバンドはやる気なかった。やりたいけど、、、、。あとはもう皆次第、だ。俺は皆が俺と同じ位の気持ちになった時にやりたい、と思う、のです。JOHNNYヰDAX。このバンド再結成できた時も、終わっちゃうのかな?、と思った時も夢のようだった。4人がまた集まれたのも、4人がまた離れ離れになってしまったのも夢のようだった。結局このバンド造ったのも壊しちゃったのも俺、なのか、、、。?その何日後に俺達の溜り場、地元のデニーズが閉店した。


音楽的には、素人だったから、戸惑いの毎日だった