カワサキマニアミュージックと私。其の2。

カワサキマニアミュージックと私。其の2。

オヤジバンドに未練を残しながら、僕の約20年振りとなるソロ活動はアピアではなく、地元川崎でやる事となった。
しかしながらもう何年も唄っていない、生ギターも弾いていない。幾ら音楽活動を再開していた、といっても所詮オヤジバンド、ましてやバンドサウンド以外もう興味は無く、実際自分の声にも、過去のオリジナルにもウンザリしていての音楽活動停止だったから尚更、20年振りのソロは見切り発車もいいところ、が現実だった。

3月のブッキングがカワサキマニアミュージックのHPで発表された。

なんと例の3人組と一緒だった!あのTVで観た、川崎のオリジナルを唄ってる、マニアミュージック、土里囲夢をホームグランドにしているあの、3人組だ。

これは何としてでも自ら、高校生の時に、”YOU”、という、川崎の町の中で人を思う、というコンセプトで作ったオリジナルを超えるものを、しかも、”川崎”、という、地名を敢えて入れたオリジナルを作らなければ!と決心したのだった。

3月のブッキングが決まり、僕は休日の早朝始発の川崎市営バスに乗って一路川崎駅を目指した。
川崎駅で今度は京急大師線に乗り、終点の小島新に降り立っていた。
そして多摩川の河原を今度は一路自分の町、元住吉を目指して歩きながら曲を書く事にした。

そして出来上がったのが当ブログのタイトルの1つでもある、”天気予報のないまち”、という曲だ。

僕のまち、川崎にはTVを観ても何処にも天気予報がない。なのに誰1人として気にしていない。それはまるで、”明日は明日の風が吹く”、とでも言わんばかりに。

そんな思いを市営バスに乗り、大師線に乗り、多摩川を歩きながら対岸のまち東京を見つめながら歩き書き上げた。川崎という地名こそ入れられなかったけど久しぶりにソロで唄うに相応しい曲が書けた。

あとはもう本番に向けてひたすら練習の日々。久しぶりに引っ張り出した、かつてアピアで苦楽を共にした、今は亡き中学時代の友人の形見のギターをメンテナンスする為これまた何十年振りにアピアの友人、筒井氏に診て貰う事になった。

こんなふうにソロ活動再開は昔の友人達との再会をも呼び起こしてくれた。何十年振りに会う筒井氏の顔を見て僕は胸がいっぱいだった。彼も僕との再会を、そして僕の復帰を喜んでくれた。彼のメンテナンスは再び形見の、苦楽を共にしたギターを20年振りに見事に甦らせてくれた。

あとは本番を迎えるだけ、となっていた、、、、、

或る日仕事で会社に戻る道すがら、もう少しで会社に着く、という時に突然目眩のような感覚に襲われた。”寝不足かな?”と気にも留めていなかったけども何だか状況が変、だ。
トラックのラジオから、”今スタジオが大きく揺れてる”、という。何となく外の電柱を見ると今にも倒れそうな勢いで揺れている。しまいにはトラックのハンドルがとられてしまい、車体が今にも倒れそうになった。
廻りの車も一斉に急停車した。ラジオはパニック状態だった。街もパニック状態になった。

3.11、東日本大震災の日、だった。

揺れが収まり、会社と目と鼻の近くに居てすぐに帰社出来た僕はまだラッキーな方だった。
会社で急いで日報を書き、まだ余震が続く中徒歩で帰宅しながらタクシーもまだ辛うじて拾えた。タクシーが地元の田山にさしかかった時、山の頂上から見える海側の方から大きな煙が上がっていた。
大変な事になった、と改めて実感した瞬間だった。
娘の小学校に急いで迎えに行く最中、真っ先にオヤジバンドのメンバーの安否は確認でき、一先ずはホッとしたけど震源地の東北には奥さんの親戚が沢山居る。いわきにはアピアで出会った大切な友人も居る。気が気でならなかった。
この日を境にまちは暫くは全てが止ってしまった。

そんな事があり1週間後に控えた僕の、マニアミュージックでの復帰ライブも計画停電などの影響もあるだろうしきっと中止になるだろう、と思いながらMARUGANサンに安否の確認がてらメールをいれた。
するとMARUGANサンから、”こんな時だからこそやりましょう!” と熱いメッセージが届いた。なんだか嬉しくなった。
震災直後、沢山問合せがきた。”ライブやんないんでしょ?”とか、”ゴメン、こんな時だから行けない”、が殆どの中、誰よりも僕のソロ復帰を喜んでくれたアピアの大親友、坂井ライだけは遥々埼玉から”、駆けつけるぜ!”と熱いメッセージをくれた。
僕も東北の親戚や、友人、安否も未だ判らない知人達の事は気にし出すと堪らなくなっていたけど、主催者のMARUGANサンや、場所を提供している土里囲夢のマスターやる!というのだからキャンセルする理由は何処にも何も見当たらない、と改めて、”よろしくお願いします”、とメールした。

そして震災からちょうど1週間後の3月19日にカワサキマニアミュージックコンサートは、僕の20年振りとなるソロ活動は予定通り行われた。

本番当日、4時からの顔合わせでMARUGANサンから、”今日は2組キャンセルがいる”、と発表があった。なんとその中の1つに例の、3人組が入っていた。

理由は人それぞれ、だ。ましてやこんな時にライブをやるのも如何なものか、という意見も勿論有り、だ。
でもMARUGAN サンの、”こんな時だからこそやりましょう”、という熱い思いや、土里囲夢のマスターからの提案、”照明も極力落として全て生音でやろう、お客さん達にもなるべく前に座って貰って”、という熱いアイデアの中、なんでキャンセルするのだろう、と3人組(+1組)には面識すらないのに憤りを覚えた。

(一方で他人には簡単に言えない理由があってのキャンセルだったのでは?、と思えば僕のこの時の感情はとんでもない誤解になってしまうのだろうが、、、、。こればかりは実際にキャンセルした2組から理由や、想いを聴いてみない事には一方的に非難は出来ないのも事実、だ。)

僕はこの日の事は絶対忘れないし、一緒にこの日、カワサキマニアミュージックコンサートのステージに立った共演者達の事は一生忘れない。
Yuusaの2人、下村良輔サン、葉月那央クン、そしてMARUGANサン、マスター、来てくれたお客さん達。

こんな時にソロ活動再開なんてなんだか波乱万丈の予感のするスタートだったかもしれない。
でも僕がカワサキマニアミュージックに関わるに相応しいスタートでもあるような気がした(実際その後アピアとは一味も二味も違う洗礼を受け続けることになる)。

こうして僕とカワサキマニアミュージックの関わりがスタートしたのでした。

次回、カワサキマニアミュージックと私。其の3。へ続く。
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Commented by zen greenwich at 2012-11-16 22:58 x
ありがとう、読んでいたらバンドでもアコギでもなんでも、何だかオレもやりたくなってきたよ。
あ~、モチベーションが見つからなくてね、弾いて歌えばいいだけなのに、音楽の復興はなかなか進まなくてねぇ。
Commented by hagiryohagiryo at 2012-11-16 23:07
おー!元気かい!?”いわきのアピアの友人”!。さっきブログ書きながら、”果たして名前出していいかなあ、と迷ってたんです(苦笑)。実は今挫けそう真っ最中(笑)。でも演ってないともっと挫けそうなんで意地でも最低最悪でも演り続けてますからゆっくり復興して下さい!又共演できる日をゆっくり待ってます!
by hagiryohagiryo | 2012-11-16 20:47 | 音楽 | Trackback | Comments(2)