2014年 12月 31日
バラカンモーニング
毎朝、月~木の7時~10時まで。
個人的に丁度仕事を始める(若しくは移動中)この時間が僕には象徴的だった。
この時間以外だったらもしかすると聴いていなかったかもしれない。
この番組のお陰で仕事も続けられたような気がする(と云ってもこの時間殆ど仕事はサボっていたけど)。
初めて番組でリクエストをかけて頂いたのは第一期の頃。
”ジャケ買いした1枚”、という殆ど続かなかったコーナー、というか企画でジョージャクソンの、”奴に気をつけろ”、だった(曲はオマカセ、だった)。
その後もコステロや果ては、シャングリラズなんかもかけて頂き、有り難い事にリクエストはほぼ100%応えて頂いた。
娘がオーストラリアにホームステイに行く時、キンクスの、”オーストラリア”、という長い曲をリクエストで取り上げてくれ、その後も自分の誕生日がジョージャクソンと同じ、という事もあり毎年誕生日にはジョージャクソンの曲をかけてくれ、我が家の次女の中学校進学記念にはビーチボーイズ~素敵じゃないか、夫婦の結婚記念日にはキンクス~デイズ(オマカセ)、などなど事有る毎にリクエストに応えて頂き、正に生活の一部だった。
”名盤片面コーナー”、では直訴??してフェアーグランドアトラクションのLPを無理矢理番組に送って取り上げて頂き(苦笑)、その後はツイッターでリスナーさん達とも親しくさせて頂き、ラジオで、音楽でこんなに素敵な出会いがあるなんて正に音楽の魔法だった。
突然、番組終了の報せがあった時、果たして自分の生活はどうなってしまうのだろう?と大袈裟に考えてしまった。
最終回の日、バラカンさんは泣いていた。僕も泣きそうになったけれど堪えた。
でも番組終了直後、ツイッターで仲良くさせて頂いている皆さんのTLを見ているうちにやっぱりどうしようもなくなり、久しぶりに泣いた。
話は前後するけれど、番組終了が決まった頃にバラカンさんは僕の永遠のアイドル、近田春夫氏と共に、”脱法ラジオ”、というイヴェントを不定期ながら始めている。
僕が生まれて初めてラジオにリクエストしたり投書したのはこの近田さんがやっていたオールナイトニッポン第2部だった。
その近田さんとバラカンさんが新たな試みを始めた、というのもなんだか僕にはとても象徴的だった。
この公開イヴェントを皮切りに?バラカンさんとは勿論、念願の近田さんともお話しでき、リスナーさん達とも会えた。
僕のラジオ人生がまた繋がったような気がした。
今、僕は仕事中、以前ほどラジオを聴かなくなってしまった。
そして仕事もこの先どうなるのか解らない。
そして正直な話、日曜のバラカンビートも時間的に余り聴く事が出来ずにいる(バラカンさん、ゴメンナサイ)。
バラカンモーニングで出会った素敵なリスナーさん達とは幸いな事に今も繋がって頂けている。
それが唯一の救い、かもしれないけれど、でもまたきっと朝7時にあのテーマソングが聴こえてくるような気もしている。
そしてそれはまた僕の生活の一部になるような気がする。
取り急ぎ書き留めました。
拙い文章ですみません。
でも今年中には書き留める事が出来た。
有難う。バラカンモーニング。
有難う。リスナーのみなさん。
有難う。良質な音楽。
また!!